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2016年2月10日 (水)

プロ野球における犠打頻度の変遷

現在の日本野球機構の前身となる日本職業野球連盟が創立し日本のプロ野球がスタートしたのが1936年
今年2016年で日本プロ野球80周年となります。
この80年の歴史から犠打頻度の移り変わりを調べてみました。

過去の犠打記録を調べるにあたりまずはNPB公式サイトを訪れたのですが、ここに掲載されている記録は直近10年足らずで
歴史調査にはまったく使い物になりません。ネット上であれこれ探した結果、当時の新聞や雑誌から日本プロ野球の公式戦全スコア
を集め掲載しているサイト「日本プロ野球記録」さんのデータから日本のプロ野球の犠打頻度の歴史を調べることにしました。

なおここで言う犠打頻度とは1試合あたりの犠打数のことを意味し、1試合あたりの犠打企画数ではありません。そのため全体の
犠打成功率を80%と仮定した場合1試合あたりの犠打企画数はグラフの値の1.25倍ということになります。その点ご注意ください。
全球団を合計した犠打数から年度ごとの犠打頻度を求めそれをグラフにしました。

361

グラフから日本のプロ野球における犠打頻度の変遷を日本プロ野球の歴史とともに振り返ります。
1936年~1944年、プロ野球創成期の犠打頻度は0.6前後でした。
(1945年、戦争により中止)
1946年~1950年、犠打頻度0.4前後と球史の中で最も犠打頻度の少ない期間を迎えます。
(1950年、この年から2リーグ制へと移行することとなりこの年の15球団は歴史上最多の球団数となります。)

1951年になるとまた犠打頻度は0.6前後に戻り、1950年代は0.7前後へと増えていきます。
(1958年、球団数が12球団に セ・リーグ6球団、パ・リーグ6球団の体制は以降現在まで続くこととなります)

1960年代に入ると犠打頻度は再び0.6前後に落ち着き、その後の1970年代も犠打頻度に大きな変化のない時代が続きました。
(1975年この年からパ・リーグでDH制を導入)

1980年代に入りこの頃から徐々に犠打頻度が多くなっていきます。1984年に初めて0.8を超え、1989年には0.99まで増加します。
1990年代以降は0.8前後を推移するようになりこのあたりから年代ごとの傾向というよりも年ごとの変化がより大きなものとなり
犠打頻度は増えたり減ったりを繰り返しながら現在へと至ります。


こうして犠打頻度の変遷をグラフ化することで犠打が少なかった時代、多かった時代の移り変わりが一目で見えるようになりました。
ただこの値は年度ごとに全球団の犠打数を合計して平均値を出したものなので当然ながら同じ年でも球団によってその値は異なります。
そこで次はこの80年の歴史の中からシーズン単位で犠打頻度の多かった監督、少なかった監督を調べてみました。

まずは犠打頻度の多かった監督ベスト10

362

これは日本プロ野球80年を通してのランキングなんですが、割と最近の監督が多く占める結果となりました。
1位は1989年の中日・星野監督。この結果に最近の楽天ファン、阪神ファンには意外に思えたかもしれません。
2位の西武・森監督は1人で3シーズンもランクインしていますがこちらはイメージ通りといったとこでしょうか。
ただ中日はDHのないセ・リーグ、西武はDHのあるパ・リーグという条件の違いを考慮するならば
実質的には森監督のほうが最も犠打頻度の多い監督と言えるかもしれません。

次に犠打頻度の少なかった監督ベスト10

363

今度は一転して昔の監督だらけのランキングとなりました。
正直なところ昔のプロ野球には疎く、球団・監督とも見慣れない名前が多いなぁという印象でしかなかったのですが
調べてみると多くの監督に意外な共通点がありました。既にお気づきの方もいるかと思いますが背景が黄色になっている 

鶴岡一人小西得郎石本秀一藤本定義浜崎真二西本幸雄

これらの監督は皆野球殿堂入りを果たした名将(名選手)だったということです。
別に犠打頻度が少ないことと野球殿堂入りは関係のないことですが、昔の野球に疎い僕にとってこの事はちょっとした発見となりました。

以上、犠打頻度の多かった(少なかった)上位10監督でしたが、少なかった上位10監督が特定の年代に集中していたということもあり
折角なので範囲を直近20年(1996年~2015年)に限定したランキングも作ってみました。

犠打頻度の多かった監督ベスト10(1996年~2015年)

364

こちらのランキングは先ほどとさほど変わり映えはありません。
特徴があるとしたら直近20年で区切ったにも関わらず全て直近10年のチームになったいうことです。

犠打頻度の少なかった監督ベスト10(1996年~2015年)

365

当然ながらこちらは先ほどとガラリと変わります。やはり外国人監督はランクインしてきました。
6位と7位に入った横浜・権藤監督もアメリカでのコーチ経験があり、そこでの経験が采配に現れたものと言えるでしょう。


ここまで年度ごと、監督ごとの犠打の記録を見てきましたが最後は選手個人の犠打記録です。
シーズン犠打数の上位選手、通算犠打数の上位選手を見ていきます。
この犠打記録に関してはNPB公式サイトに掲載されていましたのでリンクの紹介という形を取らせていただきます。 

シーズン犠打記録

現在のシーズン最多犠打は宮本慎也の67
シーズン犠打記録の選手一覧を見た印象としては最近の選手が多い印象を受けます。
2015年度シーズン終了時点での上位(のべ)35人の記録年度を集計してみたところ、全体の65%にあたる(のべ)23人もの選手
が直近20年以内のシーズンでの記録でした。  

通算犠打記録

現在の通算最多犠打は川相昌弘の533
こちらの選手一覧も先ほど同様最近の選手の多さが目立ちます。
2015年度シーズン終了時点での上位40人の中で1990年代に現役だった選手を除いてみると
14位 吉田義男 264、20位 土井正三 242、22位 近藤昭仁 239、37位 高木守道 200
のたった4人しかおらず、他36人は1990年代以降の選手ということになります。

冒頭のグラフからも言えることですが、平成以降の現代のプロ野球は歴史的に犠打の多い時代ということが言えそうです。

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コメント

昨年はソフトバンクが優勝したのですが、犠打(バント)が一番多かったと耳にしたのですが、
本当でしょうか?違っていたらどのチームが一番おおかったのですか?
平成になって犠打が多くなっているという記事には驚きです。

ダダの独り言さんコメントありがとうございます。
2020年、パ・リーグで最も犠打が多かったのはロッテの96でソフトバンクは81でリーグ5位でした。
https://npb.jp/bis/2020/stats/tmb_p.html

ただパ・リーグで最も犠打が多かった選手は甲斐の22犠打(同数で源田も)だったのでそのようなイメージが広まっていたのかもしれません。
https://npb.jp/bis/2020/stats/lb_sh_p.html

この記事を書いたのは5年前で2015年までのデータなので、またいつかアップデート版の記事を書こうと思ってます。

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